かんつめ節

最終更新日時: 2024年11月16日

【歌詞】
1
ハレーイ如何(きや)しがでぃ 愛(かな)しゃる縁(いん)ぐゎば 結(むし)で
ヤーレイー 暮らち暮らさらぬ時やぃ
(スラヨーイヨーイ)
鳥ぐゎむ 通わぬ島行じ 暮らそぃ
ヤーレイー 暮らち暮らさらぬ時やぃ
(スラヨイヨーイ)
鳥ぐゎむ 通わぬ島行じ 暮らそぃ

ナロワイシロワイー
アワレサクティサヤ
カンティミイワカナヨー

2
ハレーかんつめあごぐわが生まれやするな
ヤレー塩(ましゅ)ば摘でなめてよ
(スラヨイヨーイ)
水ぐわば飲(ぬ)で此ぬ世は発(絶た)っちやんち
ヤレー塩(ましゅ)ば摘でなめてよ
(スラヨイヨーイ)
水ぐわば飲でこの世は発(た)っちやんち

ナロワイスロワイ
哀れさ むぞさや
かんつめあごぐわ

3
ハレー女(をなご)ぬ子(くわ)や
きじめんしよんな
ヤレー名柄(ながら)ぬかんつめが
(スラヨイヨーイ)
仕様しざま
見ちゃめ聞ちゃめ
ヤレー名柄ぬかんつめが
仕様しざま
見ちゃめ聞ちゃめ

ナロワイスロワイ
哀れさ むぞさや
かんつめあごぐわ

4
ハレーイかんてぃめ姉(あご)ぐゎや焼内名柄
ヤレーイー岩加那 西や真久慈(まくじ)ぬ
(スラヨイヨーイ)
恋路(くいじ)隔(ひだ)めて思めぬ苦てぃさ
ヤレーイー岩加那 西や真久慈(まくじ)ぬ
(スラヨイヨーイ)
恋路(くいじ)隔(ひだ)めて思めぬ苦てぃさ

習(ナ)ロワイ知(シ)ロワイ 結だる縁グヮヤ
切リリヤナユメ

5
昨夜(ゆぶぃ)がでぃ遊(あし)だるかんつめあごくゎ
明日(あちゃ)が宵(よね)な・なりば
後生(ぐしょ)が道に御袖(みすで)振りゅり

6
岩加那役目(やくみ)に水(みじ)むりゅん時や
金縁綾茶碗なんじ
水(みじ)や流川(はりこ)ぬ中しらこ水

7
かんつめ姉(あご)が 明日(あちゃ)死のしゃん夜(ゆる)や
久慈や下り口(うりぐち) 佐念山なんて
提灯う灯(まち)ぬ 明がりしゅたむんど

【意味】
※1 こんなにまで情けの深い縁を結んで、二人の仲が許されずここで暮らせない時は鳥も通わないような島(あの世)にいって二人暮らそう
※鳥も通わぬ島行きじわったり暮らそぃ とする場合あり。
※2 かんつめの様な悲運な生まれをするな 塩をなめ、水を飲んでこの世を発った 知れば知るほど哀れで無情だ
※最初の「ハレー」が「生まりらばよ加那」と唄う場合あり
※3 女の子は余りひどくいじめるな 名柄(地名)のかんつめの様にむごい死に方をするから
※4 かんつめは焼内の名柄(今の宇検村の集落)岩加那は西の真久慈(今の瀬戸内町の久慈)二人の恋路は隔てられて思いは苦しい
※5 昨夜まで一緒に遊んだかんつめ姉さんは、翌日の夕方はあの世に行って袖を振っている
※6 愛しい岩加那役目に水を差し上げるときは金縁の綾の入った茶碗で、水は清い流れ水の澄んだのを入れてあげる
※愛(かな)しゃる役目・・・の場合あり。
※7 かんつめ姉が明日死ぬという夜に、久慈の下り口にあたる佐念山で提灯のような灯があかがっていたぞ

【解説】

今から200年ほど前、現在の宇検村の名柄の豪農へ隣の須古部落からヤンチュ(奴隷の意味)として、かんつめという美しい娘が買われてきた。
主人は彼女に一目惚れし、仲間の娘たちはかんつめの美しさに嫉妬した。
その頃、久慈村という隣の村に岩加那という青年が村役場の書記として働いていた。
岩加那は仕事で名柄のその豪農の家に立ち寄り、もてなしを受けた。
岩加那は三味線がうまく、唄のうまいかんつめがそれに合わせて唄った。二人は唄を通して相思相愛となり、毎夜のように佐念山で逢っていた。
かんつめに好意を持っていたが、それを果たせない主人と、そんな主人を見て嫉妬していたその妻は
かんつめと岩加那の仲を知り、かんつめを折檻した。ついには燃えた木をかんつめの局部に差し、気絶させた。
それにはさすがに他のヤンチュ仲間も同情するほどひどいものであった。
翌日、山へ仲間と薪を取りに行くように命じられたかんつめは仲間を先に帰し、
岩加那との思い出の場所で首を吊って死んでしまった。
このようないわれから、かんつめ節の唄ができた後も名柄周辺ではこの唄を夜唄うことは避けられていたが、最近になって区長さんが解禁したとかしないとかという話も。
私の知り合いにも今でもこの唄が唄われた後に体調をくずす方がおられたとか、その時に写真に何か写っていたがその写真が見つからないとか、夜はかんつめや、むちゃ加那は唄わないという唄者さんもいたりと唄にまつわる話は様々聞くが、元ちとせなどの唄者によって唄われている。
奄美にはもう1つ同様の話で口に出すのも憚られるようなものがあるが、そちらについては坪山豊さんだけが唄にされている。


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